第二次世界大戦の直後は、餓死者が出るほど大変な食糧難でした。それでも大多数の日本人はなんとか生き延びて、ようやく米をはじめとする農業生産も軌道に乗りはじめた1954年の3月に日本はアメリカとMSA協定(日米相互防衛援助協定)なるものを結びました。


この協定は日本の軍備増強に対するアメリカからの援助を取り決めたものですが、それと一緒にアメリカからの農産物の輸入も取り決められました。


◆余った小麦を日本に売るためにできた法律?


当時アメリカでは大量の小麦の在庫を抱えていました。アメリカ議会はこの「余剰小麦」を海外に売りさばくための法律「公法480」(別名=余剰農産物処理法)をつくりました。

赤米のげ_s200.jpg


このMSAと公法480の二つが抱き合わせになって、日本では代金を円で支払って、アメリカの小麦を輸入できることになりました。


◆学校給食のパンの原料にするなら小麦はタダ!


当時の日本には輸出できる目玉商品もありませんでしたから、輸入小麦の代金として支払うドルもなかったわけで、そこに「円で払ってもいいよ」
という条件を提示されたわけです。

さらには「その代金の一部を小麦製品の消費拡大のためにつかってもいいよ」と言われ、極めつけは「学校給食のパンの原料にするなら、その分はタダでもいいよ」というおまけがついていました。もちろん政府はこの条件に飛びついたわけです。


小麦製品の消費拡大のために使ってもいいとされたお金で、キッチンカーという特殊な自動車が作られて、全国津々浦々をパンやスパゲッティなどの宣伝に回りました。

MSA協定を結んだ直後、1954年6月には「学校給食法」ができて、小麦粉製品を主な食材として給食を行うことになりました。


そしてその施行細則では「完全給食とは給食内容がパン(これに準ずる小麦粉製品等を含む)、ミルク、及びおかずである給食をいう」とはっきりうたわれました。

このようにしてパンにミルクという、それまで日本人にとってあまりなじみのなかった食事の形が持ち込まれたのです。


これが子どもたちに、毎週5回必ず食べさせる食事として持ち込まれたことに注目する必要があります。


◆アメリカの国益のために変えられた日本人の食生活。


給食用の輸入小麦がタダでいいといっても、アメリカで小麦を作っている農家からタダでもらうわけにはいきませんから、当然政府は代金を払って小麦を買い上げしなければなりません。

アメリカ国旗_s160.jpg


その分はアメリカの国家財政から支出して肩代わりするのです。


そして当然議会で予算を通さなければなりませんが、そのときに予算計上の理由になったのが、「米食の日本人の食事を小麦食に変えて、将来アメリカの小麦のお得意さまにするための予算だ」ということでした。

◆結果は…お米消費半分に。

こうして、ひとつの民族が長い間かかって作り上げてきた食習慣を、そう長くない期間で変えてしまおうという壮大な実験が行われたのです。そして結果はご承知の通り…。

日本人は本当にお米を食べなくなりました。


最近の1人あたりのお米年間消費量は平均で約60kg、1960年代の一番食べていた頃の約半分の数字です…。(参考文献「食料はだいじょうぶか」滝澤昭義著・筑摩書房)

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