【代表者】関根弘幸 プロフィール

《代表者のプロフィール》

せきね上半身
 玄米工房ネットワーク本部
       
ピュアネットジャパン株式会社  代表取締役

 NPO法人ふるさとイベント協議会  理事

 JP Link Australia Pty Ltd  Managing Director

 

 

関根 弘幸 (せきね ひろゆき) 

1964年、埼玉県越谷市生まれ

25歳で、父の他界をきっかけに家業の酒販店を継ぎ、28歳の時に、大阪を拠点として全国に700店舗を擁する酒販店ネットワークに参加、間もなく、会の企画運営をするプロジェクトセブンのメンバー(7人の代表メンバーの1人)に最年少で選出され、組織の運営や経営について多くを学ぶ。


1993年、29歳の時に、酒販店若手経営者の会「グリーンとまとの会」を発足。

約40店舗の酒販店経営者の中で、最年少ながら代表となり、グループ独自の商品開発や、販促企画を精力的に行う。
この頃、有機農業生産者と出会い、有機野菜BOXの宅配を企画、グループで年間5000ケース以上を販売し、農産物の販売に手ごたえを感じる。


同1993年(平成5年)、お米の販売に力を入れ始めた矢先、全国的な米の不作で米パニックとなり、米卸から米の供給を停止され、農家に泣きついて分けてもらったヤミ米を販売、お客様から信じられないほどの大反響をもらい、農家直送米に興味を持つ。


1994年、当時は開発されたばかりで非常に珍しかった店頭精米機を導入、店頭精米販売を開始する。米穀卸に玄米での供給を断られ、産地農家巡りを始める。


1995年、酒販店の仲間23店舗を募り、玄米工房ボランタリーチェーン事務局を開設。
この頃、東北各県を巡り、20軒ほどの有機稲作生産者と出会う。


1996年、ボランタリーチェーンの運営に失敗

約4,000万円分の玄米の在庫と、150万円損失を自分でかぶる羽目になり、会を解散する。

 

その後、現場で培ったノウハウを生かし、32歳で「玄米工房」フランチャイズチェーン本部を設立する。

同年、酒販店を廃業し、社名をピュアネットジャパン株式会社に改称。

新食糧法改正と同時に、有機稲作生産者と連携し、それまでヤミ米と言われた農家直送米ばかりを店頭精米販売する「玄米工房」ネットワークのFC展開開始。


その後、何もかも本部主導のFCというあり方に疑問を持ち、生産者と加盟店と本部が、三位一体となった独自のネットワークとしてマーケティング・パートナーシップ・ネットワーク(MPN)システムを提唱する。

現在は、米穀店、酒販店、青果店などの小売店を中心として約150店舗の会員店に、こだわり玄米やこだわり食品の供給、コンサルティング、情報や販促物の提供、セミナーやイベント開催等を行っている。

 

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はじめまして!ピュアネットジャパン(株)代表の関根弘幸です。

はじめまして!

ピュアネットジャパン株式会社代表関根弘幸と申します。

 

私共は、味と安全性にこだわった玄米ばかりを、「30kg1袋から」という小ロットで、産地生産者から日本全国にダイレクトに流通し、米穀小売店の仕入れを助けるとともに、販売促進のお手伝いやコンサルティングをしている会社です。

 

実は、私自身も今から20年前、埼玉県越谷市で小さな小売店の店主をしていました。

現在の私の仕事のルーツはこの小売店での経験であり、また多くの仲間達現場での実践ノウハウの集大成であるといえます。

 

私が今、このようにたくさんの優秀な生産者に囲まれ、玄米の流通を通じて小売店様のお手伝いを仕事としているのは、とても偶然とは思えない素晴らしい出会いがきっかけとなっています。

 

純粋な人と純粋なものが通い合うネットワークをつくりたい」という願いを込めて、命名した“ピュアネットジャパン株式会社”のコンセプトは、これからお話しする創業のきっかけをお読みいただければ、きっとご理解いただけるのではないかと思います。

 

ほんのちょっとだけ、私の「ピュアネットジャパン(株)はじめて物語」にお付き合いいただければ嬉しく思います。

 

平成22年1月7日

ピュアネットジャパン株式会社

代表取締役  関根 弘幸

同じお米なのに、こんなに反応が違うなんて…

わずかな期間のサラリーマン経験を経て、父が他界したことをきっかけに家業の酒販店を継いだのが平成元年のことでした。

 

当時はまだ酒販免許制度があり、「食いはぐれの無い職業」だと疑うことなく、継いだことを記憶しています。

しかしながら間もなく、酒ディスカウントショップの台頭で業界に激震が起きました。

当然のことながら私のお店も、売上ガタ落ち…。 

 

そこでお米の販売に力を入れることにしました。

米穀商から製品となった普通のお米を仕入れて、拡販を開始。

1年後には努力の甲斐あって、月50万円くらいの売上が立つようになっていました。 

 

ところが、そんな矢先に大事件が勃発しました。

平成5年の不作でした、タイ米などが緊急輸入されたあの年のことです…。

 

米穀商には、「オタクは前年の実績がないので、今年は卸せません。」と仕入れを断られてしまいました。

 

お米を購入してくれる新しいお客様は、他のお店から私のお店に変えてくれた方ばかり…。

変えてもらった途端に、「売るお米がありません」では、信頼さえもガタ落ちですよね。

 

この時ばかりは本当に困りました…。

 

しかしこれが農家直送米と出会うきっかけになったのです。

 

実は、私の母方の実家が埼玉県吉川市というところで農家をしていたので、事情を話してありったけのお米を分けてもらいました。 

 

そして茶色いクラフト袋に小分けして口をホチキスで止めて、お得意先に謝りながら、またヒヤヒヤしながら販売してみました。

 

そしたら予想もしない反応があったのです。 

 

お客様からは、「すごく美味しかったよ!」という声。

さらには、「ここですごく美味しいお米を売ってるって聞いたんだけど…」といって、

口コミでご来店されるお客様が何件も相次ぎました。

 

米穀商からお米を仕入れていた時には1件もない反応でしたので、本当に驚きでした。

 

むしろ、それまでは「こんなまずいお米食べたことない」とか、

ファミリーレストランのご飯の方がよっぽどマシだ」といったクレームが時々入り、

その度に、米穀商の担当者からは、

「お米は嗜好品だから10人中、6人が美味しいと言ってくれれば上出来なんです」という回答。

 

何か納得のいかない思いをしていました…。

 

そしてこの時を境に、「農家から出てくるお米と、米穀卸から出てくるお米は何かが違う」と思い始めたんです。

「白米では卸してくれるのに、なぜ玄米ではダメなんですか?」

米パニックの翌年、平成6年のこと、「すごく面白い米屋が名古屋にあるぞ。」という話を知人に聞き、さっそく見学に行ってみました。

 

店頭精米」との出会いでした。

 

当時はまだ店頭精米機非常に珍しく、うそか本当かわかりませんが、日本全国でまだ3台しか導入されていない開発されたばかりの精米機だという話…。

 

確かに「玄米をその場で精米する」というのは、私自身も一度も見たことのない商売でした。

 

あの時の店内に香るお米の香ばしい匂いの記憶は今でも忘れません。

「一番新鮮な状態」でお客様にお米を提供できるということが、とても気に入りました。

 

「この商売がやりたい!」

さっそく店頭精米機の導入を決めました。

 

ところが当時お付き合いしていた米穀商に、「玄米で卸して欲しい」とお願いに行ったところ、 「玄米で卸すことはできません」との回答。

 

白米では卸してくれるのに、なぜ玄米ではダメなんですか?」との問いに、明快な回答はありませんでした。

(今では、何となくその理由を推し量ることはできますが…笑)

 

そこで平成5年の米パニックを思い出し、再び農家を訪ねることにしました。

知らないことは大胆不敵!?すべてはヤミ米から始まった…

最初は、一緒に店頭精米を始めた仲間と3人で、それぞれの親戚知人を当たり、埼玉、新潟、山形の農家に直接交渉を始めました。

 1994年お米集荷時写真1_s250.jpg

山形の生産者とはじめての取り引きの時のことは、今でも忘れることができません。

お金を先に振り込んで欲しい」という依頼に加えて「夜中の3時に来てくれ」との指示がありました。

 

「先に振り込んじゃって大丈夫かな?」 「でも何で夜中の3時なの?」と首をかしげ、不安いっぱいのまま山形へ向かいました。

 

実は当時、まだ農家との直接取引きが法律で禁止されており、知らずに「ヤミ米」取り引きをしていたというわけなんです…。

酒販業界にいた私は、食管法を良く理解していませんでした。 

 

確かに時代は、お米が自由化へと急加速していた頃で、テレビでは「食糧庁殿、私はヤミ米を販売しています」といって富山の川崎商店さんが報道を賑わしていました。

 

同じことをしていたのかと気づいたのは、ずいぶんあとになっての話。

知らないというのは、大胆不敵ですね…(笑) 

 

こうして産地でお米を集荷する際には、いつもお店の仕事が終わってから、4トントラックを借りて生産者の元へ向かいました。 

レンタカーですから、24時間以内にお米を引き取って、3軒の店先に順次降ろすわけです。

1994年お米集荷時写真2_s250.jpg

多いときは、週に2〜3度産地へ出向くこともありました。 

 

仕事を終えた後に徹夜でトラックを運転し、百数十袋のお米を自分達で積んで来るわけですから、今の私だったら、絶対にやりませんが…(笑)、当時はこの作業がとてもワクワクしました。

 

酒販店は、半径2kmの商圏から出ることの出来ない商売です。

しかもいつ配達注文が入るかわからないから30分と店を空けられません

 

そんな私にとって、新潟や山形へのお米集荷は別世界への逃避行といった感じのワクワク感がありました。

たった1年で崩壊…、玄米工房ボランタリーチェーン

当初、3店ではじめた店頭精米でしたが、お客様の評判も上々で、他の酒販店仲間から「ウチも仲間に入れて欲しい」という声が出てきました。

 

そして3店7店になり、気がつくと23店になっていました。

 

相変わらず、埼玉、新潟、山形の農家から、お米を仕入れていたわけですが、23店の仲間達からも「玄米を分けて欲しい」との要望があり、3軒の農家では供給が間に合わず、どうしたものかと考えていた矢先のことでした。

 

東京で特別栽培農家の集会があるとの新聞記事…。

 さっそくその集会に出向き、約50軒の農家と名刺交換をしました。

 

そしてその名刺を頼りに、すぐに東北、北陸に出向きました。

片っ端から電話をかけ、アポイントの取れた約20軒の農家を直接訪問し、「お米を分けて欲しい」と交渉して廻りました。

 

その甲斐あって、23店の仲間たちのお米を確保することに成功。

 

しかしながら、東北、北陸にお米の集荷に行く作業の大半は、私の仕事なっていました。

 

もちろん1人での集荷は無理なので、毎回その酒販店仲間の中から一緒に行くパートナーを1人か2人連れて行くわけですが、良く同行してくれる仲間と、全く同行してくれない仲間と、いろいろでした…。

 

いくら私自身が好きでやっているとはいえ、すべてはボランティアの作業です。

みんなで協力しあって出来なければ、こうした作業は続けられません。

 

自分が集めた仲間ではありますが、それぞれの意識の違いを何とかしないといけないという気持ちが芽生えてきました。 

 

そこで23軒の仲間に提案をしました。

みんなで月2万円ずつのお金を出し合って、みんなのお世話をしてくれる人をみんなで雇用しようという提案です。

 

こうして、玄米工房ボランタリーチェーンが誕生しました。

 

しかしながらこのグループは、たったの1年で崩壊することになってしまいました…。

2万円の費用を負担に感じたあるメンバーが、紹介した生産者と直取引き交渉をして、グループを抜けるという事件が起きたことが事の始まりでした。

 

みんなでリスクを負担し合って生産者を共有しようという話だったのに、イイトコ取りする人の方が得してしまうというような構図が出来てしまったわけです。

 

私のリーダーシップも良くなかったのだと思いますが、もともと何の強制力も、決まり事もないグループです。

 

あっという間に数人のメンバーがグループを脱会してしまい、1年後には雇用した世話人の給与や諸経費で150万円の赤字となっていました。 

フランチャイズチェーン設立、「玄米工房」の再出発!

玄米工房ボランタリーチェーンが立ち行かなくなっていることを知って

「玄米工房をフランチャイズチェーンにしたらどうや?」

このように声を掛けてくれたのは、私の酒販店時代からの先輩である大阪の井上克行氏。

現在は、リカーランドドリームFC本部・株式会社ドリームクリエイトシステムズの社長です。

 

この頃、グループ崩壊の危機感の真っ只中で、「きちんとした契約と決まりごと」の必要性をいやというほど感じていました。 

 

そこで玄米工房をフランチャイズチェーンにすることを決意しました。 

 

ある晩、残った玄米工房のメンバーを集め「これからは、きちんとした契約書と決め事をつくり、玄米工房をフランチャイズチェーンとして再生させます。」という話をしました。 

叩き台として作った契約書を見せ、どのようなグループにしたいかを一生懸命話しました。

 

しかしながら、グループに残ってくれたメンバーは誰一人いませんでした

 

そして結果的に、およそ1年間の運営で出た150万円の赤字と、グループメンバーのために確保した約4千万円分の玄米の在庫だけが残ってしまいました…。

 

そんな私に、救いの手を差し伸べてくれたのは「フランチャイズにしては?」と提案してくれた井上克行氏でした。

井上氏自身もFC本部を設立したばかりでしたが、コンサル会社と共に何百万円もかけて作ったFC本部設立運営のノウハウを惜しげもなく伝授してくれたのです。

 

そのおかげで、玄米工房はFC本部として再生することが出来たわけです。

井上克行氏には本当に感謝しています。

そして現在も私の恩師であり、師匠です。

 

そしてもう一つ、忘れられない恩があります。

それは、この時契約していた約20件の生産者さん達…。

本来は秋の収穫時から同年内に4,000万円分のお米の大半をグループで引き取る約束でした。

しかしながら、お米の行き先がまったくなくなってしまったため、生産者さん達は、いつ引き取ってもらえるかもわからないものを、ずっと抱えて待っていてくれたのです。

 

現場で培った経験とノウハウから、お客様には喜んでもらえるという自信はありましたが、この頃には本当に珍しかった農家直送米や、店頭精米販売の付加価値の大きさも手伝って、1年後には20店舗近くの加盟店が出来ました。

 

そして生産者の皆さんが、私を信じて待っていてくれたことに救われ、約4,000万円分の契約も反故にすることなく、すべて引き取ることができました

 

この時、お世話になった生産者さん達とは、もう15年近く…、本当に長い付き合いになりました。

 

しかし若気の至りとはいえ、もうあんなにヒヤヒヤするようなことは、あまりしたくないものです…。(本音)

純粋な人と、純粋なモノをネットワークする役割を追い続けたい…

このようにして、いろいろな方との出会いや導きで、平成8年に、玄米工房フランチャイズチェーン本部として立ち上がったピュアネットジャパン株式会社ですが、その後も紆余曲折、本当にいろいろなことがありました。

 

そして14年目を迎える今現在は、本部主導型の完全パッケージ化されたフランチャイズシステムということではなく、少しでもリーズナブルに、少しでも多くの方に、このウハウを生かしていただけるよう、いくつかのコースを用意してお店の個性に合わせた店頭精米販売コンサルティングサポートを行っています。

 

農家の顔が見えるこだわりの特別栽培米、有機栽培米仕入れサポートも、現在約150店舗の店頭精米店(米穀店、酒販店、青果店など)の会員様にご好評をいただいております。

 

私は、このネットワークをマーケティング・パートナーシップ・ネットワークと呼んでいます。

 

純粋な人と、純粋なものをネットワークし、生産者販売者、そして消費者も含めたみんなが笑顔になる…

私共は、そんな小売店様支援をずっと追い続けて行きたいと思っています。

 

平成22年1月

ピュアネットジャパン株式会社

代表取締役 関根弘幸